再び教育を、考える。

政府・与党提出の教育基本法改正法案が、衆院教育基本法特別委員会で与党単独可決された。
だいたいの人が「よう分からん」改正法だと思う。
何でこんなに躍起になるのか。何をどう改正するのか。
改めて自民党民主党のウェブサイトを眺めると、一端が少し分かってくる。


まず、自民党のウェブサイトを眺めると。
51年前の今日、立党時から「党の使命」としてこう書かれている。
http://www.jimin.jp/jimin/jimin/rittou/index.html

…占領下強調された民主主義、自由主義は新しい日本の指導理念として尊重し擁護すべきであるが、初期の占領政策の方向が、主としてわが国の弱体化に置かれていたため、憲法を始め教育制度その他の諸制度の改革に当り、不当に国家観念と愛国心を抑圧し、また国権を過度に分裂弱化させたものが少なくない。この間隙が新たなる国際情勢の変化と相まち、共産主義及び階級社会主義勢力の乗ずるところとなり、その急激な台頭を許すに至ったのである…

基本的に、自民党自由主義(簡単に言うと極端な個人・資本主義ではなく、その個人の自由のためにはある程度国家が制限・再分配する)の下、日本国の独立を目指す…という発想なわけで、占領下で作られた憲法は「自分たちの手」で作らなければというのが出発点。だから教育も「自分たちの手」で「自分たちの国」を大事にする(ここが過激に言うと「愛国心」とかいう言葉になるのかな)ことを明記したいわけだ。
だから前首相の純ちゃんはともかく(あの人はどちらかというと新自由主義…もっともっと個人を自由にするため国家規制なんか撤廃しちゃえというやつ)、安倍ちゃんなんかの発想は、まさに立党以来受け継がれてる「THE自民党」発想なわけだな。
だからある意味、本当に自民党なんだよね。今の政権は。


一方の小沢民主党は、小沢さんはそれこそ前までは純ちゃんみたいに新自由主義だったんだけど、今は「公正」「共生」を旨としている。


「私たちの基本理念」の「私たちの立場」には
http://www.dpj.or.jp/policy.html

…私たちは、これまで既得権益の構造から排除されてきた人々、まじめに働き税金を納めている人々、困難な状況にありながら自立をめざす人々の立場に立ちます。(中略)…自立した個人が共生する社会をめざし、政府の役割をそのためのシステムづくりに限定する、「民主中道」の新しい道を創造します。

とあるわけだ。個人の自由を確立するには、国家による再配分よりも、一人一人が手を取って共生して生きていこう、という感じかな。なんか抽象的だけど、民主党教育基本法改正案にはそんな気持ちが結構具体的に書かれているように私は思う。


教育のススメ
http://www.dpj.or.jp/kyouiku/index.html


このサイトは結構勉強になると思うから見てみて。
与党案との比較も書いてあるから(もちろん民主党寄りに書いてあるから読むときは言わずもがな個人の責任・判断で)。


私は個人的にこの部分がイイ、というか今の教育に一番必要だと思う。

第十条 家庭における教育は、教育の原点であり、子どもの基本的な生活習慣、倫理観、自制心、自尊心等の資質の形成に積極的な役割を果たすことを期待される。保護者は、子どもの最善の利益のため、その能力及び資力の範囲内で、その養育及び発達についての第一義的な責任を有する。
(中略)…3 国及び地方公共団体は、健やかな家庭環境を享受できないすべての子どもに対して、適当な養護、保護及び援助を行わなければならない。

国はあくまでサポートであって、まずは家庭教育が教育の基本なんだというのは、間違っていない。
そして、今問題になっている多くの「健やかな家庭環境を享受できないすべての子ども」に対しては国が責任を持ってサポートをしなければならないと切に思う。


それと他の部分で書いてある「生命の尊さ」、特に今の世の中では「死ぬこと」の意味を教えることは非常に重要と思う。この部分がつまるところ、「他人を思える気持ち」に繋がると私は考える。


というわけで、この意味において、私は民主党寄りの考え方であるのは事実だが、いずれにしても、我々がもう一度教育のことを考える必要があるのは確かだ。


我々が「ひと」として生きていく上で、「ひと」の存在、生命は何よりの財産だと思うから。
その気持ちをお互いではぐくんでいくことが、主義主張思想宗教を乗り越えた「ひと」の知恵であるように思うから。