1周年

ミクシィ上で初めて日記をつけたのが、去年の1月29日。
だからミクシィ日記をつけ始め、ちょうど1年が経ったことになる。


最初の日記タイトルは「国家の品格>オレの品格=大したことない」。
これは当時読んでいた本のタイトルを援用したものだ。
1年後の今日は、ちょうど「プリンシプルのない日本」を読了したところ。
今から105年前に生まれた白洲次郎氏の文章をまとめたものだ。
こんな風に書くと、いかにも本の虫のような体(てい)だが、私の遅すぎる読書には定評があり、本に向かっても全くもって先に進まない(から、いつも本を読んでいる風な)だけなのである。


本書では昭和から日本人の引き摺る「プリンシプル(原理・原則=「自らを規定する理屈・主体・価値基準」と私は解釈する)のなさ」を、彼のストレートな憤り(本書解説文中の語でいうなら「プリミティブな正義感」というところか)とともに綴っている。
2007年現在の日本に、彼の言うプリンシプルが「全くない」とは思わないけれど、日本人各々のプリンシプルを確立する「パワー(源泉)」が次第に薄れつつあるのは感じるところだ。


さて、そんな遅読癖の私は、ミクシィを始める前からこの「ymode.blog」をやっていたから、ミクシィ日記をつける気(しかもほぼ毎日にわたって)なんてさらさらなかった。
しかし去年の1月29日。
突発的に、そしてかなり意図的に、つけ始めた。
1年間につけた日記、延べ546件。
1日に1.5件つけた計算だ。


そもそも日記とは、交換日記ならまだしも、通常自分ひとりのために書くものであって、その性質上、他人に見せるような代物ではない。
そこにまず、ブログという仕組みが舶来され、ついにはSNS、いや、日本に限っては「マイミク」という文化にまで醸成したのがここ数年のネット世界の流れだと思っている。


これを「Web2.0」とかいう上手な言葉で締めくくった人もいるが、これは私の言葉で言えばクローズドネット(closednet:語感は超B級ゲーム「クーロンズゲート」にインスパイアされたもの)という概念に近い。
http://ymode.net/eve/wiseview/eve_repo/er01.htm
http://ymode.net/eve/wiseview/eve_repo/er02.htm
http://ymode.net/eve/wiseview/eve_repo/er03.htm


この言葉は大学生活における私の個人的な死活テーマで、今もクローズドネット、もう少し分かりやすく言えば「個のメディア」、この追求こそが私のプリンシプルに他ならない。
だからこそ、この「マイミク」文化という「個のメディア」の体現は、本来は私が「仕掛けなければならないこと」なのであった(笑)


そのため自らのサイトではマイエッセイ・マイラジオ・マイニュースを発信してきたものの、それを「サイトを運営する」というしち面倒な手段ではなく、「コミュに入る」「日記をつける」という日常茶飯事に「ダウンコンバート」したところに、上場企業ミクシィの所以がある。


ただ私のプリンシプルは、ミクシィ日記で完全燃焼されたわけではない。
個の「個を発信したい」という欲望は、そんなものじゃ満たされない。


ミクシィは数日後から動画日記のサービスを開始する。
そう、個のメディアは動画にまで侵食するのだ。
私はここに、大きなうねりを感じている。
言っておくがこの波は、思った以上に大波だぞ。
私のいつかすべき仕事は、この大波をさらに大きくするものだと密かに思っている。


最後にではなぜ私は個にこだわるのか。
それは私がそこに生きる意味を見出すからだ。
会社も政治も宗教も、本来はそこに立脚すべきものだからだ。


そして個の持つ最大の武器が、個のメディアだと思っている(従来のマスメディア、ではない)。
あらゆる個の発信が、自発的に有機的に群れ(こんな抽象的だからダメなのだが、これを「メディア」と私は言っているつもりだ)となり、個の個たらしめるパワーとなり、我らプリンシプルの糧となる。


そう信じて、様々な思いを巡らせる。