「負け犬」の遠吠え、を聞け!

時が経つのは早いもので、もう年の瀬。今年流行した言葉に「負け犬」というものがあった。酒井順子さんのベストセラーで触れられた「未婚、子ナシ、30代以上」を表すこの言葉は、後にオニババ(関連記事12)とも言われた「オンナという人生の敗北者」をあざ笑う言葉でしかなくなってしまうのだが、本来酒井さんは「それが何か? 全然悪くないじゃない、楽しければいいじゃない」と、自虐ネタという自爆テロを行ったはずだった。私の敬愛する桑田佳祐さんは最新曲「LONELY WOMAN」の制作過程を「ジャージ着て、一人で部屋でケーキ食べて、ハッピーバースデー・トゥ・ミー歌ってる…(中略)…現実は“負け犬”の方が多いんじゃないかなぁ」と振り返る(sas-fan.netインタビューより)。「負け犬」という言葉はそれほどに辛辣、鮮明だった。
負け犬、オニババ、引きこもり、オタク、ニート…。社会的ネガティブさを含有する言葉には、それを発するものの人生的ポジティブさが隠れていることくらい、誰だって気づいている。人々は負け犬を語ったとき、「自分は負け犬じゃない」ことを、または、「自分が負け犬だとする」ことが、こんなにもイヤされるものだったのかと、改めて思い知ったのだろう。
「負け犬」、これは何も女性だけの話じゃない。事実、先ほど引用した桑田さんの言葉は男性の話である。一緒にセッションしている某40代男性ギタリスト(笑)が、自分で自分のために買ってきたバースデーケーキ片手に「今日そっち行ってもいいかな、オレ誕生日なんだよ」とわざわざ旅先まで訪ねてきたという実話だそうだ(MUSIC ON! TVSOUTHERN ALL STARS インタビュー・スペシャル」より)。これに桑田さんは痛く感動した。決して「痛い話」ではない。「ひどく哀れんだ」のでもない。桑田さんにとってこれは同情というよりも、まったく新たな発見だったんだと、私は推察する。大のオトナがバカじゃないの、ではない。オレにはヤツの気持ちは到底理解できない、でもないと思う。そんな逸話を「何だかそういうのって、いいよね」と微笑みながら語っていた桑田さんが、やけに印象的だった。
「それが何か?」と負け犬を自称する人々の心も、本当のところはどうなのだろう。「私なりに頑張って頑張って頑張ったんだけど、結局結婚できなかったのよ」と酒井さんは開き直って人生諦めたのだろうか。開き直って諦めたら印税が入ってくるなんて、人生そんなに甘いはずはない。
負け犬の遠吠え、それは自分が「やっぱりダメなんだ」という叫びだと思う。世知辛くも人生には、勝ちとか負けとかあるからこそ、負け犬なんだと思う。迫りくる来年、私はただぢっと、負け犬の遠吠え、を聞いてみたいと思う。